皆さん、こんにちは! 先週からエボラブルアジアで七日間のインターンシップを行わせてもらっています、錦織小都穂と萩尾真大です。
私たちの七日間という期間は、他のEVAのインターン生からすると余りにも短い時間。なのですが! なんとEVAの社長薛 悠司さんに直接インタビューするという素晴らしい時間を設けていただきました!
二つの会社を経営し、とてもお忙しい薛社長……その中で、貴重なお時間を私たちの為に使ってくださいました。本当にありがとうございます!
私たちが社長に語っていただいた40分を、この場をお借りして皆さんにお届けしたいと思います。
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会議室で待っていてくださった薛 悠司社長。凛と構える姿勢はとても堂々としていて、こちらも思わず気が引き締まりました。
落ち着かれた物腰はとても知的で、対面した瞬間から、人の上に立つオーラをひしひしと感じます。
――薛社長は、大学時代をどのように過ごされていたのですか?
「実は大学時代はそんなに真面目にやっていたわけじゃなくて。1、2年生の時は、多分大学よりも雀荘にいるときの方が長かったんじゃないかな(笑)。基本的に遊んでいたよ。」
――その時、将来の夢とか、目標とかはありましたか?
「大学入学時には、作家になろうとか考えていたね。学部を法学部の政治学科にしたのも、社会問題とかをテーマにしたエンターテインメントが書きたくてって決めて・・・だけど結局大学には行ってないからね(笑)。目標って言われると、多分なかったんじゃないかな」
――経営者になりたいと思ったきっかけとは何でしょう?
「なりたいとは少し違うんだけど、学生時代、バイトがどうにも性に合わなかったんだよね。家庭教師とかテレアポとかやっていたんだけど・・・『その時間働いて、それに対して対価をもらう』っていう方式が、何だか性に合わなくて。
で、それ以外でなんとかお金を稼げないかなっていうと、僕の時代大学生がクラブイベントを主催したりとかまだ結構あったから、自分でそういうイベントを作ったりしてた。クラブ借りて、出演者集めて、後輩とかに声をかけて・・・正直それはあまりうまくはいかなかったんだけど。お金って、別に会社から貰わなくても作れるんだっていう認識はそこから生まれたね。
他にも僕は父親が起業家だったから、起業事態もそこまで特別感はなかった。だから3、4年生の時は友達と一緒に会社を作ったりしたね。それをうまく行くように取り組んで・・・だから、結局大学にはほとんど行ってない訳なんだけど(笑)。そんな感じの大学生活だったよ」
――昔から、自分から何かを生み出していくっていうことが好きだったのですか?
「最初はそこまでポジティブな感じじゃなかったよ。本当に、働いて給料を貰うっていうアルバイトの形式が嫌だっただけ。でもお金は稼がなきゃいけないし・・・だからバイト以外で、なんとかお金を作らなきゃなって、本当にそんな感じ」
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僕たちがやはり聞きたかったのは、薛社長の学生時代のこと。どんな活動をされていたのかと思いきや、非常に個性的な答えをいただきました(笑)
アルバイトでお金を稼ぐという形式が嫌だったというソル社長。しかしそこで「じゃあ会社を作ってしまおう」という決断に踏み込む事が、私たちにとっては信じられないくらい衝撃的な発想でした。
大学時代から独創的に活動していらした薛社長。社長が行う会社経営という活動について、私たちはもっと踏み込んでいきました。
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――ベトナムでエボラブルアジアを立ち上げたのは、どういった経緯だったのでしょう?
「そもそもベトナムに来たきっかけは親父の子会社の立ち上げをするという計画で上陸したわけだけど、初めてベトナムに視察に来た段階で、何となく俺はビジネスを始めるだろうなって予感はしていたよ。
2011年の5月頃には、ベトナムのIT開発が盛んで、オフショア開発の拠点として注目を浴びているっていう話を聞いて、「これから海外で開発を行うことって、すごくメジャーになるだろうな」という予感を感じて、そこに投資したいなと思った。
でも俺には父親の製造業というバックボーンしかなくて、ITの知識を持っている人も周りにはいない。だから一人じゃ無理だなと感じて、仕事と人材を派遣してくれる企業と手を組んで始めたね。はじまりは大学時代に友人と作ったオンラインの旅行代理店。そのシステムをベトナムで作ろうとしていたグループが、エボラブルアジアの始まりかな。
で、2012年の三月に会社としてのライセンスが降りて、そこからようやくそれ以外の仕事に取り組めた」
――社長を兼任して、新規事業に取り組んでという毎日で、何か印象に残った出来事はありましたか?
「よかったときの記憶ってそんなに残らなくて、大変だった記憶が多いんだけど・・・経営者ってある意味シビアな職業でね。基本的に経営者の仕事って三つしかないんだ。
一つ目は「人を育てること」、二つ目は「とにかくお金を絶やさないこと」、そして三つ目が、「決断を下す」こと。これだけが社長の仕事で、これができなければ社長失格って言うことになる。この中だと、人を育てるっていうのは当然の仕事で、一番分かりやすいよね。
お金を絶やさないっていうのは意外と重要。例えば、会社が潰れる瞬間って、どういうものか分かる?」
――売上げがコストを下回る時とか、儲けがゼロの時とかでしょうか?
「その場合だと、会社が潰れる訳じゃないんだよね。払うべきものを払えたら、会社は絶対に潰れない。
だけど決済を滞らせたらアウト。例えば『今月末には一億円入るけど、明日の一千万円が払えない』となると、これは破産になってしまう。逆に大赤字でも、とりあえず明日の一千万が払えたら会社は潰れない。利益を出すのと金を切らさないって、実は全く別の話なんだよね。会社の存続のためにお金を絶やさないことが、社長の仕事の一つ」
「そして『決断を下す』ことなんだけど・・・決断って、決めることが大きくなればなるほどにプレッシャーって上がる。例えば買い物だって、千円と十万円じゃ慎重さが違うでしょ? だけど経営者は、どんな値段でも『買う』『買わない』はハッキリさせなきゃいけない。そしてその責任も背負わなきゃいけない。
自分で決めたことの責任は、自分で抱えなきゃいけない。決断とその責任から逃げないっていうのは、経営者として大きな仕事なんだよ。決断も、30人で決めたことが200人では難しくて、みたいにどんどん複雑になっていったりする。
今までを振り返ってみても、マイナス方向の重たい決断は、今でも印象に残っているかな」
――その決断力、というのが、経営者に必要なものである、というわけですか?
「最低限必要なものだね。その決断が合っているかどうかっていうのは二次的なもので、そもそも決断しなきゃ何も始まらないから」
薛社長が掲げる、経営者としての三つの指針。その内の二つに重点を置いてお話を頂きました。実際に会社を導く方の言葉は、やはり言葉の重さが違いました。
とてつもないプレッシャーの中で決断を下す。その中には、心苦しい苦渋の決断もあったそうです。だけどそこから逃げない。人を導き続ける。それが経営者だという熱い思いに、私たちは胸を打たれました。
後半では、薛社長の口から語っていただいた、その不退転の決断力、熱い想いの源をお伝えいたします!
乞うご期待!